個別最適な学びのための個別最適な学びになっていないか
個別最適な学びのための個別最適な学びが多すぎる。本屋さんに行くと、まあたくさんの「個別最適な学び」という言葉に出会う。
なんだか違和感があるなぁ。我々が目指すべきは個別最適な学びなんだろうか。
目的は、資質・能力の育成であり、そのために個別最適な学びと協働的な学びを一体的に充実させる必要があるという話のはずだ。
主体的・対話的で深い学びのときもそうだ。
主体的・対話的で深い学びのための主体的・対話的で深い学びになってはいなかったか。
本屋さんに並ぶ「個別最適な学び」という言葉を見るたびに、我々教員の側が、だんだんと「個別最適化」されつつあるのかなぁと、複雑な気持ちになっていく。