5年目教員の日々の学びと反省

学びは「はてな」から始まる、日々のくらしの中から見つけた「はてな」を記録するブログ。

「ごめん」で済めば、警察はいらない

 今日、休み時間にトラブルがあった。
 3人(男子一人、女子二人)であそぶ約束をしていたにも関わらず、2人があそび出してしまい、夢中になった結果、1人が置いてけぼりになってしまったのだ。
 その3人はなかよしで、特に女子二人は、小さいころからの親友である。昼休みが終わり、黒板に連絡帳をかいていると、オルガンのせまい隙間に一人の子(女の子)の姿が。
 下におちたものを拾うそぶりをして、「どうしたの?」とさりげなく声をかけると、急にしくしく泣きだしてしまう。「あっ、これはきっとなにかもめたんだな。」と直感が働いた。
 本当はろうかなどに場所を変えて話したかったが、あまりにもそのオルガンの場所にその子がフィットしていたし、その子の泣き顔を公衆の面前にさらすわけにはいかないと思い、その場で話を聞くことにした
 話はそれるが、ぼく自身も今の職場で何度か涙を流したことがある。そのすべてが悔し涙だったが、やっぱり泣き顔をほかの人に見られるのはかなりつらい。泣いた後は、その跡がなくなるまで必死に顔を洗ったのを今でもよく覚えている。
 話を戻そう。すこし落ち着いてから話を聞くと、冒頭のことを話してくれ、独りぼっちになった気がしたのが、かなりショックだったようだ。「そっかあ、それはつらいなあ。二人は楽しそうにあそんでいるから、そんな姿を見ると、余計自分が一人の感じがするなあ。先生に何かできることはあるかな?」と聞くと、首を横に振る。「何もしなくていいの?」と聞くと、首を縦に振る。当然、そのままで言い訳はないし、そのままですませるのが嫌だったので、「ねえ、やっぱり先生、あなたの力になりたいんだけど・・・」とすこし押し気味に聞いてみると、話をしてもいいということになった。
 しかし、この子がそもそも首を横に振ったのはなぜだろう?教師を頼ってもどうせ解決しないと思っているからだろうか?あるいは、特に気にするほどのことでもないのだろうか?後者はこれまでの過程を見れば、ありえない。では、前者か?
 その子の答えは、「お話してもいいけど、あやまっておしまい、みたいな形になるのはいやだ。」というものだった。なるほど確かに、こと小学校における生徒指導場面では何か人間関係に関するトラブルが起こった時、「ごめんなさい」を言って解決したとみなす指導が一般的だろうと思う。その子はきっとその形式的な解決に嫌気がさしているんだろうと推察される。ぼく自身、これまでの生徒指導場面を振り返ると、極端に形式的な指導をしていたわけではないにしろ、この子が嫌気をさすような指導を無意識のうちにしていたんだろうなと、今思えば反省しなければならない。
 話がそれたが、その子はほかにも「もっと早く気づいてほしかった。」「たとえ話し合って解決したとしてもこれから先同じことがおこったらと考えると嫌だ。」などといった内容を話してくれた。
 もちろん、その三人が仲がいいのは知っていたので、その子にあえて「きっとあの二人はあなたにごめんなさいって言いたいって言うと思うんだ。だけどあなたからすると、それでおしまいにしたくないわけだ。じゃあ、これからのことを考えて、二人にこれからこうしてほしいということを伝えてみてはどうだろう?」と投げかけてみた。当然の反応だがその子は「でも、そんなこと言ったら余計に、何あいつって思われるかもしれない。」と不安げだ。
 ぼくがこれをあえて聞いたのは、その二人の子はこの子の言うことを必ず丁寧に聞いてくれるという確信があったし、たとえそうでなかった場合、もはやそれは友だちとはいえないんじゃないだろうかと、そこまで考えてのことだった。
 「次からはこうしてほしい、って自分の思ったことを伝えて、それをうん、わかったと返事してくれる人が、友だちってかんじがしない?」と聞いてみると、その子は心配げだったが、了解してくれた。
 その後、二人の子を廊下に呼び、話を聞いてみることに。呼び出された段階で二人は、「あのことやろ?」「わかってる。」ともう事情を知っている様子だったので、聞いてみると、「おれら(わたしたち)が二人であそんどって、独りぼっちにしてもうてん。」と自分から言ってくれた。ひとりになっていることに気づかないほど夢中にあそんでいたのだろう。まわりで見ていた子どもから、「△△が一人ぼっちやったで。」と聞いて、気づいたようである。
 「三人であそぶと約束していたのに、二人であそばれていたら、仲間外れにされた気がしない? それに二人が楽しくあそべbヴぁあそぶほど、余計に『私は一人だなあ』って感じちゃうと思わない?」と聞くと、二人はすんなり聞き入れてくれた。
 わかってはいるが、念のため「この後、もしあの子に声をかけるとしたら、どんな声をかけてあげたい?」と聞くと、「一人ぼっちにしてごめんって言いたい。」「気づけんくてごめんって言いたい。」とそれぞれ話してくれた。
 このように二人から聞き取った内容を、一人ぼっちを感じた子にすこし話してみた。すると、「伝えたいことをきちんと言う。」と思いを伝えることを決心した。
 三人で顔をあわせて話し合い。当然、二人の子は謝る。すると、一人の子が「ごめんって言ってくれるのはうれしいんだけど、ほんとはもっと早く気づいてほしかった。」などと、思っていることを様々に言ってくれた。二人の子はていねいに、その子の思いを聞いていた。
 大切なのは、納得感と安心感、そしてこれからの期待感。そして自分の思いを伝え、異なる思いを互いに受け止め、折り合いをつける、そういったことなんだと思う。
 くれぐれも、「ごめんなさい」をお互いに言い合って形式的に解決するという過程をふんではいけない。「ごめんで済めば、警察はいらないのである。」